光蓮寺|岐阜県可児市のお寺

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「葬式仏教」する。

「葬式仏教」する。

お坊さんは「お別れのプロ」として葬儀・法事などの現場に送られるわけじゃないのです。

少なくとも、僕が通っていた仏教の学校では「大切な人を喪った人が、どんな状態で、どんな風に接したらいいのか」という学びをしたことはただの一度もないまま、お坊さんの資格が与えられ、びっくりした!
びっくりしたまま、お寺にかえってきて、もう6年が経ちます。
だから、僕自身がそうだったように、ほとんどのお坊さんたちは実際の葬儀・法事などのお別れの現場を何度も経験する中で、それぞれに思い悩み、戸惑いながら「わたしの考えるベストなやり方」を探しているのだろう(と思います)。

やはり、『葬式仏教』という言葉があるように、世間の中でお坊さんの役割は「おくりびと」なのでしょう。しかし、「ご遺族が亡き人を見送ることができる場づくり・関係性づくり・接し方」ができるお坊さんってどれだけいるのか。そして、僕はちゃんとできてるか。日々の法務の中でそんな風に思うことは少なくありませんdした。
もしかしたらお坊さんは、僕は、「葬式仏教」すらできていないのかも?

心あるからこそ、傷つけるかも

「遺族の悲しみと向き合いたい・何かしたい」と願うお坊さんだからこそ、相手を知らず知らずのうちに傷つけているケースもあります。
例えば、
「いつまでも悲しみを引きずっていては故人が浮かばれませんよ」
「もう一周忌です。そろそろ落ち着かれましたか」
お坊さんがこんな言葉を口にするとき、。でも、これらの言葉によって何年間も苦しみ、倒れる寸前まで無理をしてしまう人もいる事を多くのお坊さんたちは知らない。
しかし、何かしたい。と言葉を探す。その結果生まれた言葉は、遺族を励ますどころか「呪いの言葉」となり、苦しみの中に追い込んでしまっている。
こんな例は全国にあふれているのだと思います。
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僕もお坊さんになって6年がたち、仏教のお話をすることにも少しずつ自信がついてきたように思います。けれど、気付かずに言葉のナイフを突き付けて、斬りつけてきたのかもしれない。

グリーフケアの学びから

前の記事にも書いたように、2月・3月・4月の3ヶ月間でリヴオンが主催する「ファシリテーター養成講座」でグリーフケアについて学び、伝えられるような研修を受けてきました。そして昨日、修了式を迎えました。
グリーフケアは簡単に言えば「大切な人を亡くすこと」についての学び合いです。

IMG_7249修了生たちは、それぞれグリーフケアを学ぼうとした背景を語り、学びをどうやって活かしていくのかを発表しました。
僕自身も、悲嘆の中にある人にどう接したらいいかわからず、その無力感が学びのきっかけだった事を語り「僕の住む地域の縁ある方にお伝えできるように」というちょっとした夢を発表しました。

発表をしながら、同じように願っているお坊さんたちがたくさんいることを嬉しく思いました。(同じ講座受けてたお坊さんがたくさんいます)こういった輪から「葬式仏教」がちゃんと機能していく。そう信じたいし、僕もそうありたいなあと思っています。そしてやっぱり同じように、ご遺族との接し方について悩んでいるお坊さんの仲間にも、学んでいただきたいなと思っています。

さて、僕はこれまでと同じように、歌いつつお話させてもらえる場所があれば飛んでいきます。そしてこれからは、仏教のお話に加えて「大切な人を亡くすということ」について、少しお話できればいいなあと考えていますよ。
また近い将来、お寺でもグリーフケアの学び場が作れたらいいな!

<span class="icon-user">この記事を書いた人<span>

五藤広海光蓮寺|僧侶
29歳。可児市の歌って喋るお坊さん!日々の法務の中、講座「五木寛之著『親鸞』をたのしく味わう』や「大切な人を亡くした人へ-やさしい法話会-」などを開催。仏教系音楽ユニット「あみださまがみてる」のボーカルとギターとしても活動中。
講演やライブのご依頼もお待ちしています。
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