光蓮寺|岐阜県可児市のお寺

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お坊さんによる遺影撮影会!?

お坊さんによる遺影撮影会!?

名古屋西別院の「寺フェス」

2016年2月28日、名古屋西別院にて行われた「西別院寺フェス」に参加してきました。お寺やお坊さんとのご縁づくりを目的として「お坊さんラリー」や「南無Walk」「オテラジオ」など楽しい企画が並び、老若男女問わず1000人以上の参加者が訪れて活気のある時間でした。例えば「お坊さんラリー」は色々な境内の中にいるお坊さんに声をかけて「ちょこっと法話」を聞きながらスタンプラリーをしていくというもの。幼稚園児や小学生、ゴスロリの女の子、おばさまからおじいさん。いろんな人がお坊さんと話す姿があふれていました。
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「お坊さんがあなたの遺影を撮ります」という企画

さて、そんな楽しいイベントの中で、ひときわ不思議な空気を醸しているブースがありました。それが僕がお手伝いさせていただいた企画『1000の遺影を見てきたお坊さんが撮る遺影写真紀』。

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その名の通り、「たくさんの遺影をみてきたお坊さんが、あなたの遺影を取りますよ」という企画。わたしも今回ロゴデザインや設営の段取りでご協力しました。今回がはじめてというこの企画ですが「お坊さんが遺影を撮る」ということ、そこにはどんな思いが込められているのでしょうか。

遺影がご遺族とのお話のきっかけに

松野尾さん
発案者は光蓮寺の和音Vol2でも読経隊としてご出演して下さった松野尾さん。ご法事など日々のお参りの中で「このお写真はどういった場面で撮られたのですか?」とお伺いすることが多々あると言います。なるほど、わたしたちが普段お葬儀で拝見する「遺影」は背面が塗りつぶされ、切り取れて、元々はどのようなお写真だったのかは知ることができません。
「これは実は娘の結婚式の時の写真なんですよ」と、ご遺族が故人のことを語ってくださるなかで、少しずつお互いの緊張がほどけて対話が深まっていくことを実感するのだといいます。お葬儀ではじめてお会いすることになるケースも少なくない中で「遺影」はご遺族へ故人を語っていただくきっかけとなるのですね。
また、松野尾さんはグリーフケアの活動にも深い関心を持っており、普段なかなか故人の思い出を語る場所がない方へ「お仏壇の前やご法事のときには亡くなった人の事をお話してもよいんですよ」というメッセージを伝えていらっしゃるようです。
グリーフについてはこちら

死をみつめることは、生をみつめること

日々「遺影」が持つ力を実感している松野尾さん。会話の中で「あの人は写真がなくて困ったから、私は良い写真を残したい」というご意見も多々あったといいます。
自分の死を意識することは決して悲しいことばかりではない。「残りの時間をどうやって過ごそう」と、思いを巡らすことで生き方に変化があるかもしれません。死をみつめることは、生をみつめること。ならば、遺影を撮影すること、そしてその場に「お坊さん」がいることは、その方のその後の生き方にもよい影響があるのではないかと考えて、この企画の発案・開催に至りました。

IMG_9450今回は西別院の会議室を簡易的なフォトスタジオのようにして、ご希望の方の写真をひとり30分ほどの時間をかけてゆっくりとお話しながら撮影が行われました。
撮影の事前予約をされていたNさんは、撮影された写真を見ながら「孫に見てもらうことを考えてる」とニコニコと笑いながら語ってくれました。
なんだか不思議な時間です。目の前のNさんは「私が死ぬこと」について考えている、けれどなんだかとても楽しそうでした。

IMG_9681このように撮影された写真はその場で確認していただきますが、どれか1つを選んでもらうのではなくすべてデータとして(CD-R形式で)持ち帰っていただきます。ご家族の方と「どれにしようかな」と選んでいただくこともこの撮影会のよいところかもしれません。「そんなのまだ早いわよっ!」と娘にどやされながらも、「でもこれがお母さんらしいわね」と語る時間を持っていただければ、ご本人だけでなくご家族みんなでいのちについて考える時間となります。

「自分の遺影を撮る」って大事かも?

IMG_7822また、これは実際に行ってみてはじめてわかったのですが、当日の撮影会だけではなく、事前に「美容院にいこうかしら」「この服を着て行こう」と選んでいただく時間も、自らのいのちをみつめる時間。「私らしい写真、あの人に見て欲しい写真」それを考えることは非日常的でありながら、実際の生活の延長線上にあることで、とても大切な時間だと思います。
わたしたちはプロの写真家ではありませんが、人が「私らしい、遺影にしたい」と思う写真は必ずしも「プロの写真」であるとは限りません。Nさんは「孫にみてもらうのだから、やっぱり笑ってる写真がいいね」と話されていました。

親鸞聖人が詠まれた詩に明日ありと、想うこころの、仇桜、夜半に嵐の、吹かぬものかは」というものがあります。
そう、一晩のうちに満開の桜が枯れることだってあるように、死は老いや若き関係なくいつ訪れるかわからない、明日があるという保証はないのに「わたしは大丈夫」そんな風に思ってしまう心がどこかにあります。
だから、これはご年配の方だけでなく、若い方にもぜひ経験していただきたいし、なにより自分にも無関係ではないことなのですね。

自分の去っていった世界で、自分を想う人達に残せる最後の姿「遺影」。しかし、それは生きている間にしか撮れないもの。遺影を撮る中で、さまざまな気付きがたくさんあるのですね。
「友達も連れて来てあげたかった、ぜひまた続けてください」とNさん。Nさんをはじめ、参加者のみなさんがみんなにこやかなのがとても印象的でした。

光蓮寺でもできるかな?とても有り難い経験となりました!

<span class="icon-user">この記事を書いた人<span>

五藤広海光蓮寺|僧侶
29歳。可児市の歌って喋るお坊さん!日々の法務の中、講座「五木寛之著『親鸞』をたのしく味わう』や「大切な人を亡くした人へ-やさしい法話会-」などを開催。仏教系音楽ユニット「あみださまがみてる」のボーカルとギターとしても活動中。
講演やライブのご依頼もお待ちしています。
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