光蓮寺|岐阜県可児市のお寺

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お坊さんがグリーフを学ぶわけ

お坊さんがグリーフを学ぶわけ

以前にも「グリーフってなあに」という記事を書かせていただきましたが、また今回もリヴオンさんの主催する「ファシリテーター養成講座」に参加してきました。これは簡単にいえば「グリーフについて伝えられるようになること・学びあいの場のつくりかた」の2つを学ぶものでした。というわけで今日もグリーフのお話を。

お釈迦様になれないなら

 ごく最近まで、僕はお坊さんになるってことは「喪失体験で傷ついた誰かを救えるようになること」だと思っていました。

例えば、お釈迦様は人々の悩みを聴いてその人たちそれぞれが救われる道を説きました。その様子はまるでお医者さんが患者さんを診察し、その症状にあわせてお薬を出されるようなので「応病与薬」と呼ばれています。

病気に応じて薬をあたえる。「ああ、その病気ならこれを飲めば治りますよ!」と、そんなお釈迦様のように万能ではなくても、何か自分なりの方法があるはずと思いながら過ごしていました。
しかし、大切な人を亡くした方と何度も接するたびに、言葉にならないようなもどかしさは募っていきます。

こんな僕でもなにかできないかな?

グリーフを学び合う場

そんな中で出会ったリヴオンのグリーフケア講座は「救う人と、救われる人」という関係性ではなく「ともに学び合う」ということを大切に場作りをされています。

あえて先ほどの病気の例えで言うのであれば、みんなで大きな医学書を囲んで人が集まってるようなものでしょうか。
「私の病気はこんな特徴があるらしい」「これは病気のせいだったのかあ」「こういう食べ物と相性が悪いのね」など、治す医者はいなくても病と付き合って、症状をやわらげながら、病とともに生きていくことができる。

身体のしんどさの正体がわかると、それだけで少し楽になったりしますよね。


あれ、なんだかそれって「お経」とわたしたちの関係に似ているなあ。と思うのです。

自分はお釈迦様のようになれなくても、なんでも救ってくれるお釈迦様は今目の前にいなくても、お釈迦様が残した膨大な医学書である「お経」の智慧に依ることで、人間は苦しみの世を生きてこれたのでしょう。

僕もお説教を教える先生から「ご法話はほとけさまの話だから、なによりまず喋ってるわたしが聞かせてもらって、喜ばせていただくんや」と耳にタコができるくらい言われていたことを思い出します。

なるほど、仏教もこれまでの長い歴史のなかで「救う人・救われる人」という関係性ではなくて、「ともに学び合う」という場作りを大切にしてきたんだなあ。と思います。

お寺って「しんどいけど、どうやったら楽になるんやろう?」っていう事を、一緒に学び合う場所だったんだな。

だから僕は、そもそも勘違いをしていたのかもしれませんね。僕はお釈迦様になれない。けど、そもそもお釈迦様みたいにならなくてもよかった。同じ目線で、ともに学び合っていけばよかったのですね。

だから「大切な人を亡くす」という途方もない悲嘆について、一緒に学び合う場を作りたい。リヴオンでのグリーフの学びを通して、今はそんな風に思っています。

場作りの第一歩へ


そういえば以前のブログの記事から、北海道のお坊さんたちがグリーフを学ぶ講座が開かれることになったようです。とても嬉しいことです。Facebookでまだ受付中なようなので、お近くの方はぜひどうぞ。

あと、自分の周りでも東海地方のお坊さんたちと一緒に、グリーフを学ぶ場づくりに取り組みはじめることができました。ドキドキです。近日公開予定!

そしてもちろん今後、光蓮寺のまわりで何か活動できればいいな。どうか、ご縁あるあなたに届けばいいなあと思っています。

そして最後に、今まさに、大切な人を亡くして、悩んでいる方はぜひ、リヴオンさんのホームページの「大切な人をなくした人のための権利条約」をご一読ください。このページだけでもご自身の「グリーフ」についての大きな学びがあります。少し肩の力が抜けて、ほっとできるような優しい言葉で説明されています。

<span class="icon-user">この記事を書いた人<span>

五藤広海光蓮寺|僧侶
29歳。可児市の歌って喋るお坊さん!日々の法務の中、講座「五木寛之著『親鸞』をたのしく味わう』や「大切な人を亡くした人へ-やさしい法話会-」などを開催。仏教系音楽ユニット「あみださまがみてる」のボーカルとギターとしても活動中。
講演やライブのご依頼もお待ちしています。
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